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野村克也「ID野球」の原点

「野球は頭のスポーツだ」

断言できるのは、私自身の野球人生が技術ではなく、研究に支えられていたからです。

'54年にテスト生で南海に入団して以来、現役時代は3017試合に出場し、戦後初の三冠王にもなった。

監督としても5度のリーグ制覇、3度の日本一を成し遂げることができました。

ただ、入団前の京都・峰山高時代はプロ野球選手になれるとは考えもしなかったし、その力はなかった。

病弱な母の女手ひとつで育ち、貧しかったので、学校生活の合間を縫って、新聞配達を続けていました。

家計を助け、貧しい生活から抜け出したい、との思いで南海の入団テストを受けましたが、その時も京都から大阪に向かう旅費がなく、高校の野球部の部長先生に頼んで貸していただいた。

入団テストでは、投げる、守る、走ると部門別にテストがあり、私は肩が弱かった。

ほかの受験生が一投目で合格ラインをクリアできても、私はクリアできなかった。

2投目を投げる前、テストを手伝いにきていた1年上の先輩選手が「前に行け」とささやいてくれて、本来のスタートラインより5mも前から投げて、ようやく合格ラインをクリアできた。

私はその程度の選手だったのです。

ですから、プロ入り後は「1年でもこの世界で長く生きたい」と必死でした。

入団3年目に一軍に定着しましたが、その年に感じた私の能力の限界が「野村野球」

いわゆる「ID野球」の原点になりました。

当時、何とか打撃で結果を残そうと、打席で「直球を待ちながら変化球に対応する」という器用な打者をめざしました。

しかし、三振また三振。

なかなか改善されずに、苦労しました。

「三振を減らす、何かいい方法はないか」と悩んでいた時、テッド・ウィリアムズの打撃論を読む機会を得た。

その中に、何気なく記されていたひと言が、私に希望の光を与えてくれたのです。

「ウィリアムズは投手が振りかぶったとき、直球か、変化球かが、8割わかる

ウィリアムズは戦前から戦後にかけて米国で活躍し、「打撃の神様」の異名を持つ、最後の4割打者。

米国内ではベーブ・ルースよりも評価は高かった。

投手は直球、変化球を投げる時、ボールの握りが違うため、投球時の構えにも微妙な変化が生じるのだという。

翌日、さっそく南海の投手をブルペンで見た時も、直球を投げる場合と、変化球の場合の構えの違いが如実に表れていました。

ボールを握るときのしぐさが微妙に変わり、振りかぶった時のグラブの角度も変わる。

まさに私にとっては目からウロコ、宝物を見つけたような喜びがありました。

以降、相手投手のクセを研究するため、裏方さんに頼んで、16mmフィルムをネット裏で回してもらった。

メジャーは身体能力だけでプレーしていると思われがちですが、野球を深く考えるソフト面でも、日本よりはるかに進んでいた。

ウィリアムズの理論に出会った直後の'57年に30本塁打で初の本塁打王に輝き、プロで生きる自信がつきました。

そのプロセスで知ることができたのは、技術的な能力の限界の先に、本当のプロの世界が存在する、ということです。

だからまず己の限界を知ることが先決なのです。

打者は3割を打てば一流。2割8分、2割5分の打者なら、3割到達までの不足をどう埋めるのか。

私は当時、誰も注目していなかった相手のクセやデータを研究することで埋めることができた。

人気や、持っている素質ではかなわなかった長嶋に、記録では勝つことができました。

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