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松井秀喜が引退を決意したのは、あの大物メジャーリーガーが原因だった!?

引退は、徐々に考え始めました。

レイズを解雇されて('12年8月)、ニューヨークに戻ってきた当初は『少しずつ来年の準備をしようかな』ぐらいの気持ちだったんです。

それがだんだん『どうなんだろうな』という気持ちになってきて。

 

レイズでの最後の姿というよりも、結果ですね。

 

衰えを実感したことは、練習では、最後までありませんでした。

でも、試合になると、ちょっとずつ今までと違う部分が出てきていました。

一番感じたのは、甘いボールを打ち損じる打席が増えたことです。

アスレチックスの年の最後は打率も2割5分ぐらいまで落ちて、初めて自分で自分の成績がちょっと恥ずかしいと思いました。

その頃の自分は基本DHの選手でしたので、DHでこの成績はないなと思ったんです。

2012年は所属が決まらず開幕後も自主トレを続けながら契約先を探しました。

その時もまだ辞めると思わなかったですね。

そういう状況でもプラスに考えてやろうとしていましたし、ひざの状態もようやくちょっと良くなってきてたんで、もう一回、勝負したいという気持ちでした。

不思議と、どこかから声がかかるような気もしてたから、悲壮感はありませんでした。

 

4月末にタンパベイ・レイズと契約して、メジャー昇格直後には、本塁打を連発しました。

最初の2、3試合でバンバン打ったんですけどね。

実は、自分ではその後が続かなかったのは何となく分かる気がしました。

打っていても、手応えがなかったんですよ。

結果は出ているけど、不思議とそれを続けられる自信がなかった。

そういう予感って、当たりやすいんです。

するとだんだん結果が出なくなっていった。

そのうちジーターのファウルボールを追って足を痛めちゃった。

今思うと、最後にオレ、あいつにとどめ刺されたような気がしますね!笑

 

自分はもう終わるんじゃないか。とかユニフォームを着ている時は考えなかったですね。

もがき苦しみながらも、何とか状態を上げたい、何とか自信をつかんでいきたいって、そういう日々でしたよね。

 

引退を何回も何回も考えましたが、最後は、自分が何を大事にしてきたかということを考えました。

それはやっぱりチームが勝つために何をするか、どういうプレーをするかということです。

勝つための力になることを一番大切にしてきたつもりだし、その自信はありました。

でも、ここ1、2年を振り返って、自分がどれだけチームの力になれたかなと考えてみた時、ほとんど力になれていないし、チームも勝てていなかった。

もう1回チャレンジすれば可能性はゼロではなかったかもしれません。

でも、これはもう結果を受け入れるしかないのかなと思ったんです。

もちろんジャイアンツやヤンキースでの自分自身を大事にしなくちゃいけないという気持ちもありました。

あまりバタバタやって、最後にもがき苦しんでいる姿を見せるのもどうなのか、と。

ちょうど(日米で)10年ずつだったし、『両方とも10年か。キリもいいかな』って。

妙に気持ちの整理がつき始めました。

最終的に決断したのは会見の1週間ほど前でしたが、一度決めてからは心が揺らぐことはありませんでした。